どんなちからをつければ社会でたのしいことを見つけたり、困難にぶちあたっても乗り越えることができたり、まわりと力を合わせて生きていけるでしょうか?
とことんらしさ
あそびとは、経験
やりたいことがない、興味がない。 この言葉、きいたことはありませんか?
それは、無意識のうちに「やってみたい」を抑制していたり、
世の中にあふれている「さまざまなこと」に触れる機会・挑戦する機会が少なかったのかもしれません。
とことんでは、
「やってみたい」を「やってみた」に。
「さまざまなこと」を「おにごっこ、ケンカ、跳び箱、ボードゲーム、クライミング、楽器、絵本…」に。
そこから、 たのしい、たのしくない、すき、きらい、得意、苦手 が分かって。
たのしいことやすきなこと、得意なことは、「もっとやりたい」に変わり。
もっとやりたいは「じぶんで考え動く力」となる。
こどもたちの「やってみたい」は、「たのしそう」と思ったものに向けられるもの。
すなわち、「あそび」に向けられるということ。
だからこそ、とことんあそぶ。
「たのしい」は自分を動かす最大のパワー
やってみよう、と思う理由は「たのしそうだから」。
あそびでも 趣味でも 仕事でも 生活でも、 大人でも こどもでも、
「たのしそう」と感じたときの行動力は、何にも代えがたいものですよね。
逆に、「たのしそう」がなければ、やってみようとは思わないのではないでしょうか
実際にやってみることで、様々な力はついていきますが、
やってみるためには、まず、「たのしそう」を見つける・感じる力が必要です。
いつでも どこでも どんなときでも 「たのしそうを見つける力」
どんなものでも どんな状況でも 「たのしむ力」
この力こそ、目先の小学校生活だけでなく社会に出てからも、自分を突き動かしてくれるかけがえのないもの
「やってみよう」の その先へ
「たのしそう」を感じ「やってみた」。
もちろん、やってみる中で 困難が立ちはだかることもあるでしょう。
どうやってその困難を乗り越えていくか。
ここで、幼児期に あそびの中で育まれる力が試される。
自分で解決するには、 どのような方法で どのように行動していくとよいのか。
自分だけで解決が難しければ、 どのように周りの人に協力を得ていこうか。
考えて 行動して 失敗しても また考えて 行動して。
これこそが挑戦。
挑戦したからこそ 得られた 更なる成長のためのステージ。
成功か 失敗か。 ではなく、考えて行動した中で「そこで得られるものに価値がある」。
世の中には ひとりとして 同じ人はいなくて
似ているところは あれども、
同じ考え 同じ気持ち 同じ価値観 同じ環境 同じ… すべてがぴったりとはいかないもの。
だからこそ むずかしく、 だからこそ おもしろい。
お互いの違いを わかるためには、お互いに伝え合い 聴き合い 話し合い。
自分の思いを さまざまな手段で 相手に伝え、
さまざまな手段で表現される 相手の思いを 理解しようとし、
互いの異なる思いを どのように寄り添わせて 解決していくか。
全てを受け入れる必要はなくて、 全てを拒絶する必要もなくて。
大事なのは お互いが認め合うこと。
時には意見をぶつけ合い 時には力を合わせながら。
こどもたちのやりたいのために、大人は
自分で考えて、みんなで考えて、こどものあそびが実現できるようサポートします。
保育の質の向上
すべり台はおしりをつけて
上からすべろうね
Q :「どうして」
座らなければいけないのか
A : 立ってすべるより安全だから
Q :「どうして」
上からすべらなければならないのか
A :下から登る人もいたらぶつかるから
Q :「どうして」
下から駆け上がってはいけないのか
A :すべってくる人とぶつかるから、すべるところが汚れるから
さまざまな「どうして」を繰り返す中で見えてきたものは、ケガをしないように、他の人の迷惑にならないように、大人が先回りして事前に危険などを回避してしまっていたことでした。
こどもたちの思いは
上から歩いてすべりたい
立って降りることでバランス感覚が育つ
下から登りたい
勢いをつける、手すりを掴む等、登れる方法を考え思考錯誤する など
なりより、「〇〇したい」を実際にやってみる、やっていいんだ、という経験から、挑戦する力が育ちます。
これだけのまなべる経験をこの一言で、大人が回避させたからこそ、失わせてしまっていることに気付きました。もちろん、やってみることが経験につながることとはいえ、ルールはないよと伝えて「みているだけ」ではまなびは少なく事故が起こります。やってみている中でまなびにつながるきっかけの言葉は、大人がカギ。命の危険からこどもを守るのも大人の責務。私たちはとことんあそび、とことんまなぶを支えます。